- Germination Reactor
<私がベンチャーをつくった理由>「君の研究は意味がない」その時感じた憤りで覚悟が決まった(株式会社プロバイオ・中島勇貴さん)
乳酸菌の機能性が明らかになる一方、その研究成果の多くは、未だ人々に届いていない。「大学の研究結果をそのまま寝かせておくのはもったいない」そんな研究者自らの情熱を起点に、株式会社プロバイオは立ち上がった。その強い使命感に、自らの思いが増幅され、ベンチャーの社長としての挑戦を始めた中島勇貴さん。「たとえ先生がいなくても自分がやる」自ら研究と経営、両方の力を磨き、成長し続ける中島さんにお話を聞く。(incu・be vol.67から転載)
学部1年の時から通った研究室
株式会社プロバイオの初代社長である中島さんは、共同創業者の木下さん(東海大学農学部准教授)の研究室に所属している。共に会社経営に携わる二人の関係は、学部生時代までさかのぼる。入学式の当日からゼミの一環で研究室を訪問すると、木下さんが乳酸菌の機能を調べ、社会実装を進めていることを知ったのだ。そこで興味を持った中島さんは学部1年の時から研究室に通い、実験をするようになった。
「先生が論文を何度も出しながらも、そこで終わらずに社会の役に立てようという姿に強い信念を感じていました」と、通うようになった動機を語った。そんな中島さんは、木下さんの元で乳酸菌が人に与える影響を調べていた。修士課程の時には、乳酸菌の持つ小分子RNAがどのように機能を発揮するか調べ、論文を投稿するに至った。世界で初めての発見をした時は大きな喜びだったと中島さんは話す。しかし、社会実装を見据えている木下さんを見て、論文を出して終わりではなく、その先の人に役立てるところまでやりたいと考えていた。
就職活動中の憤りで気付いた、自分の情熱
木下さんからの信頼は学部生の頃から厚く、大学で見出した乳酸菌を活用して、社会の役に立てるために、一緒に会社をつくって社長をやってくれないかと誘われていた。しかし、研究を世に出すことに興味があるとはいえ、経営の経験があるわけでもなく、社長がどのようなものか想像ができなかったので断っていた。
その決断の契機になったのは、修士2年で行った就職活動だ。面接で、これまでの研究テーマが利益につながらないから意味がないと否定された時、憤りを覚え、木下さんと共に行ってきた研究がかけがえのないものだと気づいたのだ。「このきっかけで一緒に研究と事業を進めていこうと決めました」と、当時のことを振り返る。
その後中島さんは社長として活動していくが、その中でも決意は揺らがなかった。元々合同会社だったプロバイオを株式会社化する時には、資本金を同額ずつ出し合った。つまり株式保有割合の意味でも、木下さんと同等の権利を持っており、対等に経営することを決めている。
設立後には、役割分担をして経営に携わっている。例えば、大学窓口へ問い合わせをする企業は木下さんが対応するが、営業で新たな取引先を探すところは主に中島さんが担当している。尊敬している先生に負けない行動力を発揮する姿から、木下さんと共に研究する中で培われてきた情熱がいかに強いものだったのかが伺える。
不連続な動きも、1つのベクトルでつながっている
「仮に先生がアカデミアに専念するようになっても経営できるように、プロバイオの顔として成長していきたいです」と中島さん。現在は、学振の研究専念義務により社長を離れているが、学振制度を活用しながら研究力を伸ばし、将来は会社に戻る予定である。
そのような柔軟な対応ができているのも、長年培ってきた木下さんとの信頼関係があるからだろう。今では社会実装を見据えて研究しており、大学で見出した豆乳ヨーグルトの機能性について、抗炎症作用や認知機能の改善効果の検証、腸内細菌の解析などをしている。
それだけでなく、食品以外にも応用できないかと探っている。例えば、乳酸菌が植物の成長や水質の改善に活用できる事例が知られているが、メカニズムは不明確だ。それを調べつつ、研究室独自の乳酸菌を活かせないかを考え、人だけではなく、他の生物も含んだ地球全体に貢献することを目指している。お金儲けよりも利益を使って研究を進めることに興味があると話す中島さんは、研究者であり経営者でもあると言える。そんな彼が、どのように乳酸菌の価値を地球全体へと届けてくれるのか、未来が楽しみだ。
(文・八木佐一郎)
<プロフィール>
中島勇貴(なかしま・ゆうき)
2021年11月1日に合同会社プロバイオ(現、株式会社プロバイオ)を木下英樹さんと共に設立し、初代社長に就任。その際には会社の経営も行いながら、乳酸菌の研究も進めた。現在は、日本学術振興会の特別研究員として採択され、研究に従事している。